2023寒中お見舞い申し上げます

 我が家の一人娘ネコ はなは、昨年12月初めに突然体調を崩し、まったく食欲を失くしましたが、病院で点滴治療を受けると、強靭な生命力で体力を回復し、無事、年を越すことができました。しかし、1月5日ころから再び食べられなくなり、12日夜静かに息を引き取りました。18歳10か月、ヒト年齢にしますと、93歳の生涯でした。
 はなは、昨年夏ころから認知機能の低下が始まり、トイレの使い方や食事の仕方に異変が起きていました。
  12月の体調急変後、はなは、おしめ取替えが終わると決まって、目をつぶり、ぐったりとしていました。父さんは、そんな、はなを見るのはつらかったのですが、介護している時間が何にも代えがたい大切なものだと感じました。あれほど母さんにべったりだった はなでしたが、夜中、父さんの枕に頭を載せたり、ときには父さんの頭や顔に自分の耳や鼻を擦りつけたりするようになり、父さんは幸せでした。
 今、はなは、別の世界で若いころの元気を取り戻し、ドローンみたいに自由自在に飛びまわっているのでしょう。たまには父さん母さんがいる世界に突入して、びっくりさせてほしい。はなと暮らした年月はあっという間に過ぎたけれど、はなは、ほんとうに楽しいネコ生を元気いっぱい生きたと思います。皆様、ありがとうございました。
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故旧忘れ得べき

 高見順の「故旧忘れ得べき」(1935年第1回芥川賞ノミネート作品)を3日間で読了した。故旧忘れ得べき、とは、古い友人たちをどうして忘れられようか、という意味。小説の最終章で、この言葉が歌のタイトルであることが判明する。その歌とはかの有名な「蛍の光」。
 原曲は、18世紀後半に生きたロバート・バーンズという人が、古いスコットランド民謡に詩をつけたもので、その詩には友人たちと一杯やる楽しさが詠(うた)われている。昔の仲間たちのことを懐かしむ歌が、日本では別れの歌に変身したわけだ。なので、高見順の意訳の方が、蛍の光の硬い詩より原詩に忠実なのだ。
 こんな詳しく紹介したのは、気を入れてこの本を読んだからではない。つまらなくはなかったが、下世話で猥雑な筋書きの部分は文字面をかすめるように読んだ。何としても途中で投げ出したりせず、最後の一文までたどり着き、М新聞に掲載された荒川洋治氏の書評の感動を追体験したかったから。感動の程度の差はあったと思うが、私も感動した。
 不思議なのは、読み終わってみると、30代と思われる男たちと女が絡む話が、妙に懐かしく愛おしくよみがえってきたこと。男たちときたら、昭和初期の左翼運動に首を突っ込んだが、国家権力など様々な圧力によって屈してしまった虚無感とかで、支離滅裂な生き方をしている。それに比べ、女たちは現実社会からこぼれ落ちそうになっても、なにクソと足を踏んばって、男を頼りながらも辛抱強くしたたかに生きている。
 私も一応、高校時代の抵抗運動からの転向組なので、本の中の男たち同様、その後の人生街道の途上、ずいぶん恥ずかしい真似をした記憶がある。しかし、10代の時分の思想闘争とはいったいどんなものだったのかと冷静に考えてみると、私の場合は、親の束縛に対するささやかな抵抗にすぎなかったと思う。なので、それに敗れたからといって、運動から転向したといった大げさなことではなく、ただ力不足だっただけ。「故旧」の中にもそのような男たちがいたのかもしれない。
 過去の世の有名人の中にも転向組がわんさかいる。若いころ共和主義者だったナポレオンは皇帝になることを切望するようになるし、社会主義者を標榜していたはずのヒトラーは人民を捨て、典型的なレイシズム(人種主義)信奉者になった。プーチンの思考様式も似たようなものか。社会主義の中に育ち、巧妙に立ち回ったあげく、君主制を目指すとは‥‥。これらはヒト精神の退化現象としか思えない。
 高見や荒川、そしてバーンズが言うように、「ただ黙って向かい合って座っているだけでも自ずと心が暖められる」友人たちと過ごす時間は長く続かない。高見がこの小説を書いたころとは、その数年前に満州事変が起きているし、中国と直接戦闘を開始する盧溝橋事件の前夜なのだ。彼らは、転向してもしなくても、不本意な戦争のただ中に送られ、多くは非業の死を遂げたのだ。
 私たちは、高見たちの生きた時代の切迫感とはほど遠い位置にいる。コロナ禍やウクライナの戦争に心を痛めているものの、そのうち収まるさ、と他所事に思っているところが、私自身、多少ともあるような気がする。再びつらい時世がやって来るかもしれないのだが、月々日々に身の振り方を考え続けるのは確かに至難なのだ。
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平手打ち雑感

 ウィル・スミスが、4月末に行われたアメリカのアカデミー賞授賞式で、彼の奥さんの身体をネタにしたジョークに腹を立て、プレゼンターの男性を平手打ちしたのは記憶に新しいところ。私は、プーチン戦争とこの前代未聞の平手打ちに挟まれて、もやもやした気分を断ち切れないでいた。そして今日になって、30数年前に日本で起きた有名人による大衆面前殴打事件のことが、ふと頭に浮かんだ。
 記憶があいまいだったので、慣れないスマホで検索してみてびっくり。作家・野坂昭如と映画監督・大島渚(いずれも故人)が、大島監督と小山明子夫妻の結婚30周年祝賀パーティーで、くんずほぐれつの殴り合いをしたことを、私同様、ウィル・スミスの平手打ちから連想した日本のおじさん方が大勢いることがわかった。この二つの事件は、起きた原因や経過がまったく違うのだが、両者ともすぐそばに奥様がいた点では一致する。そのことがこれらの騒動の推移や評価に関りがあったかどうか、よくわからない。
 一般人の目からウィル・スミスの行為を見ると、愛する奥さんへの行き過ぎたジョークに堪忍袋の緒が切れた夫の単純明快な行為にすぎないように思われるのだが、世間の人々はそれでは済ませない。彼を擁護する声がある一方で、男のプライドが傷つけられたときの暴力性、そして奥さんや家族への所有欲といった男性性はきわめて有害だといった冷ややかな非難も数限りなく飛び交う。
 私自身がその立場なら、どうしただろうかと考えてみる。臆病なので、暴力行為に及ぶことはあり得ない。きっとひきつった顔をうつむけたままでじっとしているのでは。あるいは、このままだと家に帰って妻から飛んでくる毒矢を避けきれないと覚悟を決め、それは言い過ぎだろうと、その場で腕を振り上げ怒った表情を作り抗議のポーズを取ってみる。これ以上のアクションは無理だ。いずれにしろ、自分の行為が適切だったかどうか、長きにわたり言い知れぬ葛藤と自己嫌悪にさいなまれることになるだろう。後になって、ウィル・スミスのようにやれればよかったと後悔することがあるかも、いやそんなことはないはず‥‥。
 日本でもアメリカ同様、男のプライドが正義と整合すれば偉大な戦士という称号が得られるし、最近は家庭を大事にすることを隠さない男が社会的に評価されるようになった。とすれば、男性性の有害性(野蛮)と有益性(先進性)は紙一重のような気がする。
 ところで、野坂・大島の乱闘の仲裁に入った小山明子氏は、両者が和解した後に、「あれは子どものけんか、でもあんな魅力的な男たちはなかなかいない」とインタビューに答えたとか。やはり、女性は圧倒的に寛容で大人、そして強靭な精神の持ち主だと驚嘆する。しかし、私のこういった締めの言葉は、ジェンダーフリーに対する年寄り男の抵抗と見なされるのだろうか。
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在宅リモート生活

 あまり気持ちのよくないコロナ風が吹き止まずといった情勢なのに、私は今年4月からS大学(札幌市内)へ通い始めた。歴史文化専攻の科目履修生として。 今年の前半は、H教授(北海道平取(びらとり)町で萱野(かやの)茂(しげる)さんの助手をやっていた方)の 「アイヌ文化論」を週2回のペースで受講。 

 ところが、コロナの感染者がうなぎ上りに増えるにつれて、対面授業は削減され、5月の連休明けから遠隔授業になってしまい、またもや家を離れる口実がついえた。若い人たちに囲まれて過ごしたひと月の愉悦の時間は夢だったのか。
 ライブのオンライン授業を受けるため、アプリをPCにインストールするのに四苦八苦。ようやく授業が始まる当日当時間を緊張の面持ちで迎えたのだったが、一向に配信されない。どうしたことかと古いPCを問い詰めたが、埒が明かない。
 翌日早々、担当教授からお詫びのメールが届いた。操作ミスのため、一部の学生に配信できなかったという。私より若い世代の教授なのだが、やはり時代についていくのは大変なのか、とかえってほっとした気持ちになった。
 このため、授業はライブでなく、いわゆるオンデマンドになった。配信された映像を一定期間内に視聴して、教授から出される課題について解答文を送付するという方式。これで私も、コロナ禍で流行している在宅リモート生活という新たな時代様式に、つま先の端をちょっとかけたことになる。
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河出版日本文学全集

 このほど、池澤夏樹さん個人編集の河出版日本文学全集全30巻が、毎日出版文化賞を受賞した。10年前にも、池澤さんの河出版世界文学全集が同賞に輝いているという。何という壮挙、お祝い申し上げる。
 この日本文学全集の背表紙に、須賀敦子という作家の名を見て驚いたことを、はっきり思い出すことができる。それは、2018年11月ころだったはずだ。なにせ、谷崎や大岡昇平、大江や石牟礼らとともに、私のまったく知らない作家が、1人で1冊を占拠していたのだ。漱石や石川淳だって、1冊に3人で肩寄せ合って収まっているというのに。
 この全集で最初に注目したのは、評論家、吉田健一を1冊本に登場させたこと。この本を買おうとしてふと見ると、何度も繰り返すが、須賀本が目に飛び込んできた。この本の内容を立ち読みでどれくらい理解したか記憶にない。知らない作家だったからこそ引き寄せられたとしか言いようがない。家に帰ってからも、なぜ買ったのか自分で納得できずにいた。
 今年(2020年)6月、この須賀本を机の上に積んだ写真がある。そして、一月後の7月には、須賀敦子の個人全集全8巻(河出文庫)を探し回って、ようやく手に入れたというメモが残っている。コロナ禍の中、わずか1月弱で、私はすっかり須賀に首ったけになってしまった。須賀は、私の母親と同世代だが、まったくそんなふうに思えない。同じ時代、社会、空気を感じているかのようだ。須賀のことは、次の機会にもう少し踏み込んで書いてみたい。
 ところで、河出の世界文学全集も1冊だけ我が家の本箱に寝ている。バオ・ニン著「戦争の悲しみ」。彼は私と同い年で、ベトナム人民軍に入隊し各地の戦闘に参加した経歴を持つ。ベトナム戦争は、私にとってもっとも身近にあった戦争だった。
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