平手打ち雑感

 ウィル・スミスが、4月末に行われたアメリカのアカデミー賞授賞式で、彼の奥さんの身体をネタにしたジョークに腹を立て、プレゼンターの男性を平手打ちしたのは記憶に新しいところ。私は、プーチン戦争とこの前代未聞の平手打ちに挟まれて、もやもやした気分を断ち切れないでいた。そして今日になって、30数年前に日本で起きた有名人による大衆面前殴打事件のことが、ふと頭に浮かんだ。
 記憶があいまいだったので、慣れないスマホで検索してみてびっくり。作家・野坂昭如と映画監督・大島渚(いずれも故人)が、大島監督と小山明子夫妻の結婚30周年祝賀パーティーで、くんずほぐれつの殴り合いをしたことを、私同様、ウィル・スミスの平手打ちから連想した日本のおじさん方が大勢いることがわかった。この二つの事件は、起きた原因や経過がまったく違うのだが、両者ともすぐそばに奥様がいた点では一致する。そのことがこれらの騒動の推移や評価に関りがあったかどうか、よくわからない。
 一般人の目からウィル・スミスの行為を見ると、愛する奥さんへの行き過ぎたジョークに堪忍袋の緒が切れた夫の単純明快な行為にすぎないように思われるのだが、世間の人々はそれでは済ませない。彼を擁護する声がある一方で、男のプライドが傷つけられたときの暴力性、そして奥さんや家族への所有欲といった男性性はきわめて有害だといった冷ややかな非難も数限りなく飛び交う。
 私自身がその立場なら、どうしただろうかと考えてみる。臆病なので、暴力行為に及ぶことはあり得ない。きっとひきつった顔をうつむけたままでじっとしているのでは。あるいは、このままだと家に帰って妻から飛んでくる毒矢を避けきれないと覚悟を決め、それは言い過ぎだろうと、その場で腕を振り上げ怒った表情を作り抗議のポーズを取ってみる。これ以上のアクションは無理だ。いずれにしろ、自分の行為が適切だったかどうか、長きにわたり言い知れぬ葛藤と自己嫌悪にさいなまれることになるだろう。後になって、ウィル・スミスのようにやれればよかったと後悔することがあるかも、いやそんなことはないはず‥‥。
 日本でもアメリカ同様、男のプライドが正義と整合すれば偉大な戦士という称号が得られるし、最近は家庭を大事にすることを隠さない男が社会的に評価されるようになった。とすれば、男性性の有害性(野蛮)と有益性(先進性)は紙一重のような気がする。
 ところで、野坂・大島の乱闘の仲裁に入った小山明子氏は、両者が和解した後に、「あれは子どものけんか、でもあんな魅力的な男たちはなかなかいない」とインタビューに答えたとか。やはり、女性は圧倒的に寛容で大人、そして強靭な精神の持ち主だと驚嘆する。しかし、私のこういった締めの言葉は、ジェンダーフリーに対する年寄り男の抵抗と見なされるのだろうか。