本の始末を巡る話

 本を片付けるのはストレスのかかる作業だ。以前にも書いたかもしれないが、父親が存命のとき、大事な話があるというので実家に行ったら、2階の床が本の重みで下がったのでけっこうな金をかけて直した、そろそろ積んである本を何とかしろ、という。私は、若いころ集めた大量の本を数十年もの間、実家に置きっぱなしにしていたことを忘れていたわけではなかったが、数年ごとに転勤するのを口実に、ほったらかしていた。
 急ぎ駆け付けた私は肩透かしを食った。年老いた親が大事な話というので、てっきり言い残した大事な案件があって呼んだんだろう、相続とか借金とかの話ではないだろうか、借金の話なら困ったものだと、多少の覚悟をしていた。ところが、父親の話がそんなだったので、床がまだ抜けないならもう少し積んでおいてくれ、暇ができたら片付けるよ、と気のない返事をして話をそらした。
 それから間もなく、親が二人とも急激に弱り、父、母と相次いで亡くなってしまった。そのすぐ後、今から10年ばかり前になるが、実家を畳むことになったとき、私は実家から100キロメートルほど離れた土地に住んでいた。北海道内ならそれほど遠いとは言えないが、空き家の片付けに通うには相当の体力がいった。親のものだけでなく、自分たちの思い出の品々も大半を処分した。本も例外ではなかった。今思えば、ちゃんと本の始末をしておけばよかった。それは親の言うことをないがしろにした行為を後悔して言うのではなく、父親に催促されたとき本の整理を怠慢していなかったなら、後日に起きた本の大量廃棄を回避できたかもしれないと思うから。 
 話は現在に戻るが、この歳になると、自分がこれから消化できる仕事の分野と分量についておおよその見当がつく。身の回りに必要な資料や本も、要不要の見分けがつくようになる。そんなことから、今回、一念発起して私の持ち物を順々に始末しようと思い立った。
 家の近所に、岩波の月刊誌「図書」に載った古本屋がある。個人で移動図書館や、本屋の過疎地域への贈本活動などをやっている珍しい古本屋さんだ。その記事を見て、以前、文庫本などを寄贈したことがある。今週、史記、荀子、モースの古代社会、折口信夫全集、花田清輝、武田泰淳、井上ひさし、大江健三郎、50年前に刊行が始まった世界文学全集の一部、なぜかデュルケム、ハーバート・ノーマンといった聞き慣れない本など、いずれも長らく処分するのをためらった本たちを、表紙から目を背けながら段ボール5箱に詰め、その小さな店に運び込んだ。
 ところで、世界文化社から昭和40年に刊行が始まった「世界文化シリーズ」全24巻のうち、例の大量廃棄を免れた3冊が自宅にあった。このシリーズには、たしか「ハワイ・香港」があったはずだ。そのころの香港はイギリス統治で文革前夜。文革の波が中国との国境に押し寄せ、香港全土に暴動が広がりそうになったとき、周恩来が英断を下して平和的に収拾した歴史があるという。
 たった3冊しか生き残らなかったこのシリーズを捨てるのは次回にしよう。こうしてその始末を先送りしていると、書棚の満杯状態はいつまでも解消せず、自宅の床が沈むばかりか、後世の方々に迷惑をかけることになる。世間にはそんな問題がごろごろしているような気が‥‥。