近所の土偶

 最近、日本列島の地図を見ると、数万年もの昔の情景が見えるような気がしてならない。そのころ、列島にはあちこちから人が渡ってきていた。大まかに分類すると、南からは現在のアイヌ系の人々、半島からは中国大陸の奥地にいた人々、北からはシベリアやバイカル湖周辺に先進的な旧石器を残した、いわゆる北方狩猟民たち。それらの集団のどこかに、私の先祖が紛れ込んでいてもおかしくはない。もしも2万年以上前だとしたら、私から1000世代もの遠くまでさかのぼることになる。

 こんなことを考え続け、とうとう頭の中が夢に占領されたとき、私はシベリアの草原の奥地から、鹿と犬に連れられてとぼとぼ歩く自分自身の姿をまぶたに浮かべる。ほんとうにそんなふうに感じられる。
 先日、「おさつ」という土地にある埋蔵文化財センターで、動物を象った土偶に出会った。オットセイ、セイウチあるいはムササビでは、と説明文にあったが、私は動物とヒトとの合体した形そのものだと思った。弱々しい骨格のヒトは強い動物の力を借りながらようやく生きながらえてきた。
 廃校を活用したセンターには、世界で一番古いかもと言われる縄文式土器もたくさんあった。土器は煮炊きなどに使用するために作られたとされるが、それだけのためなら他にもやり方があっただろう。私の目には動物の頭蓋とどこか似て見える。
 大昔、ヒトにとってクマなどの頭蓋はきわめて大切な宝だった。何世代にもわたって、家の奥の上座に安置された頭蓋を見るうちに、誰かがその形を真似て、土で器を作ってみようとした‥‥。石は硬すぎたし木では頼りない。土をこねて器ができたときはうれしさのあまり舞い上がったことだろう。
 器に関する白川静氏の所説は衝撃的だ。氏は、「口」あるいは「曰」という文字は、神に捧げる祝告を入れた器だと解釈する。縄文土器もまた同じく使用されたと考えられなくはない。側面の模様は藁や紐などでつり上げたから付いたのかも?