ロケットマン

 エルトン・ジョンの半生をたどった「ロケットマン」を8月の終わりころ観た。彼の音楽は、私の頭の中のジュークボックスにたくさん仕舞われていて、「ユア・ソング」(1970年リリース)などはよくかかる楽曲だ。なので、ほんとうはレコードやCDなんて必要ないのだが、彼の1973年にリリースした2枚組アルバム「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」が手許にある。でも、これは私が買ったのではない。弟のお気に入りだったんじゃないかと思う。20代前半のころ、夏休みに帰った実家で、私も繰り返し聞いた覚えがある。

 私はストーンズびいきで、ちょうどそのころ、彼らの2枚組の「エグザイル・オン・メインストリート」(72年リリース)のガシャガシャ駆け回るロックを聞いていたのだが、エルトン・ジョンを耳にしたとたん、その一風変わった繊細な音楽にたちまち引き込まれた。
 「ユア・ソング」は、この映画でも感動的な場面に流れる。彼は盟友バーニー・トーピンの歌詩を見ながら、ピアノに向かい即興で弾き語りを始める。まるでずっと昔から知っている歌を歌うように。
 ユア・ソングは、こんな感じの歌だという。
「この歌が、君の歌だってみんなに言ってほしい。シンプルな歌だけどこれで完成さ。イヤー忘れたよ、君の瞳がどんなだったか、ぼくにはよくあることだけど。でも君ほどすてきな瞳をした人に会ったことはないんだよ。君といる人生がどんなに素晴らしいか、ぼくが歌にしたことを気にしないでくれるかな」
 映画では、エルトン・ジョンの過酷な親子関係がかなり詳細に描かれる。子供のころから親を求める気持ちがことごとく打ち砕かれ、失望と幻滅に耐える日々を送った。ただ、幼いころ、母と祖母からピアノをプレゼントされたことが彼の才能を開花させるきっかけになったという。耳にした旋律をただちピアノで再現できたというのだから、神童モーツアルトのようだ。
 彼にとっての救いは、親身なばあちゃんが彼の才能を信じていたこと。子育てに不向きな親元にいても、周囲の助けがあれば子は育つ。このことは人の世界だけでなく、単独生活するクマやネコ科動物にもあるという。ネコの私が言うのだから間違いない。
 さらに、エルトンは自らのLGBTを告白している。そして様々な苦しみを背負い、自分を見失い薬に走るといった生活破綻者の無様な姿をありのままに見せる。その過酷な状況から、自らの意志と周囲の助けによって立ち上がり、再びピアノに向かおうとする姿はやはり感動的だ。存命の超有名人がここまでやるとはさすがだ。