言葉が出てこない

 名前は言えないが、私より3、4歳年上の知り合いと会話していると、彼の口から漏れ出る言葉が、まるで強風に吹かれたときみたいに切れ切れに聞こえることがある。私はじれったくなって、彼が言いたいだろう言葉を先回りしてしゃべってしまいそうになる。でも、それは失礼というもの。ぐっと言葉を飲み込むうちに、彼がどこまでしゃべったかわからなくなり、結局、話の腰を折ってしまうのだ。
 そういう私も、頭の中のイメージをスムーズに言葉にできず、もどかしさに身もだえする場面がめっきり増えた。先日、地域の人々の集まりで、よくよく知っている相手を前にしたとき、彼の肩書きが「地域副統括監」という、ややっこしい名称だと頭ではわかっているのに言葉となって出てこない。ふくふくとか、かんかんとか言っているうちに、相手は気分を害したのか横を向いてしまった。
 かえって文章化する方が、時間がかかっても、何とか筋のとおった形に仕上げられる、と自分では思い込んでいる。以前のテレビ番組で、認知症の老人が書いた文章が驚くほど理性的でしっかりしたものだったのを見たことがある。彼の頭脳は決して老いてはいなかった。身体による表現ができないだけのことだった。
 確かに年取ると本能的な機能は衰えるが、後天的に身につけた経験や知識、技能といったものは、簡単に損なわれない。つまり、よれよれに年取って言葉を失っても文章は書けるということ。このことは、120才まで生きようと妄想している者に勇気を与えてくれる理屈だ。本能は反射神経みたいなもので、あのイチローでさえ衰えから逃げられないが、理性とともにある者は不老であり、ひょっとして不死だって夢ではないかもしれない。