クイーンをぜんぜん知らない

 先日、私の洋楽好きを知っている近所の自治会長から、ちなみに彼は70歳を過ぎているのだが、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を観たかいと聞かれて、一瞬言葉に詰まった。彼の問いかけが意外だったからではない。実は私は、クイーンがロックバンドだという程度の知識しか持ち合わせていなかったので、彼らの映画を観ようとはまったく思ってなかった。
 私の場合、60年代にブレークしたロックバンドやシンガーなら、曲だけでなく、姿かたちまであらかた憶えている。しかし、70年代のロックシーンとなるとちょっと自信がない。10代のときと20代のときの感受性にはかなりのギャップがあるということなのか。
 70年代を代表するのは、やはりデビッドボウイ、レッドツェッペリンだろう。それにTレックス、イーグルス、ディープパープル、ピンクフロイド、キングクリムゾン、キャロルキングたちのサウンドは今でも鮮やかに思い出せる。忘れてならないはエルトンジョン。ずい分レコードを聴いたおぼえがある。けっこう知ってるじゃん。
 なのにクイーンのことはぜんぜん知らない。調べたところ、彼らは71年に結成、73年にデビューし、91年フレディーマーキュリーが死去するまでの約20年間、ロック界の第一人者だった。
 そのころの私は、彼らのサウンドが好みじゃなかったのだろうか。確かにハードロックにしてはメロディアスで、ブルース、ジャズっぽさが感じられない。そこが不満で耳をそらした? しかし、私はサイモン&ガーファンクルや甘ったるいビージーズさえもかなり聴いたのだが。
 10日ほど前のこと、札幌で用事を済ませると、自治会長の誘導尋問に促されるように、駅中の小ぎれいだが小さな映画館に足が向いた。土曜日の昼過ぎ、「ボヘミアン・ラプソディ」の客席はいっぱいで、前列の方しか空いてなかった。目が回り出したら席を立とうと覚悟して座った。
 フレディーの生誕地がアフリカだと、つい先日のテレビで知ったが、インド系のゾロアスター教徒だったこと、ザンジバルで起きた紛争を避けてイギリスに移住したこと、バイセクシュアルだったこと、HIV感染により肺炎を起こして亡くなったこと、父親や友人たちとの軋轢と和解など、クイーンを知らない私には映画すべてが驚きの連続だった。これだけ衝撃的な人物、グループに、なぜ自分が冷淡だったのか釈然としなかった。
 彼らが確執を乗り越えて出演したアフリカ難民救済のためのライブエイドのことを、私はよく知っている。ミックジャガーがティナターナーのスカートをはぎ取り、ボブディランを囲んだキースリチャードとロンウッドが煙草をふかしながら「風に吹かれて」の伴奏をした。そのときのディランは歌いにくそうにしていたことなど。そこにクイーンがいたとは、まったく憶えていない。
「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスは、ライブエイドでの彼らのパフォーマンスだ。クイーンのメンバーが数十万人の観客が待ち受ける舞台に躍り出た辺りから、私の涙腺はなぜかもろくなった。館内は暗かったので、無駄な抵抗をやめ涙の流れるままにしておいた。