先祖の顔

「アウトドアぎらい」の続きを書くために、自家の戸籍を調べはじめてから2か月余り。どんどん深みにはまり、しばらくはまともな社会生活ができなかった。ようやく、完ぺきではないが、父方の直系6代に渡る家系図ができ上がった。できたと言っても、もっとも古い世代の夫婦は姓名だけ。次の代は天保5年(1835年)の生まれ。嘉永とか安政とか、歴史に残る元号がいくつも出てくる。家を守り存続させるためなのだろう、長子の名前を引き継いだり、養子を入れたりと、苦労の跡がしのばれる。
 それにもかかわらず、曽祖父の時代だろうと思われるが、明治の中盤を過ぎたころ、家は没落したようだ。家督相続した長男の祖父は、祖母、次男とともに、故郷を離れ北海道の未開の地に入植した。曾祖父母は地元に残り、末っ子の3男を連れて分家した。長女の大伯母は北海道へ嫁ぎ、養子に入っていた男子も分家。つまり、一家離散したかに見える。
 10年ばかり前に聞いたところによると、先祖が住んだ地に、祖父方の痕跡は何も残っていないらしい。以前だったら、北方狩猟民の末裔の枝分かれだと思い込んでいる私にとって、わずか200年余の自家の歴史に関して、何らの感慨もなかっただろう。
 ところが、ナメクジの這った跡みたいな古文書をなめるように読み込むうちに、名前が記された先祖たちの顔が一人一人浮かび上がるような気がしてきた。私らしくない所感なので書くのは恥ずかしいが、北海道への旅の途中、原生林に覆われた天塩川の河畔で亡くなった、まだ1歳の叔父や、子を亡くした祖母の悲嘆を改めて思い出し、思いがけず胸を詰まらせる始末。
 こうしてみると、同時代を生きる叔母や年長のいとこたちには、できる限り健やかに長生きしてもらいたいと思う。と同時に、叔母たちから、この家系図をもとに記憶に残っている諸々を早めに聞き取りしなければ……。