自分の時間

 フリーになって1か月過ぎたのに、依然、自分の時間がない。朝から晩までコマネズミみたいに巡っているが、自分の意志でやっているのかよくわからない。ブログを書く時間もとれない。
 あるリタイア組の一人のように、そば打ち、味噌づくり、登山、競馬、畑仕事、老介護ボランティア、俳句の会、サイクリング(まだあるが思い出せない)など、自分の趣味全般に没頭し、家庭を顧みようとしない者までいるというのに、私は自分のやりたいことを何ひとつしていない。
 リタイアしてすぐ始めようと計画していた、手作り本の講習会への参加や、本の取次店とか書店への営業、自分のエッセイ集出版準備などまったく進んでいないし、その他にも、近くの大学の図書館や美味しい昼飯を食べられる店の探索とか、やりたいことはめじろ押しなのだ。でも時間がぜんぜんないのでスタート地点にすら立っていない。
 ブログに書く材料だってたくさんある。小樽の公会堂のこと、男性合唱団のこと、自治会のこと、タブレットのこと、ポケットWiFiのこと、獺祭を相前後して2本もらったこと、大楽毛という地名の由来のこと、「黒猫とのの冒険」ならぬ「義経の冒険」という本を不思議な縁に導かれて読んでいることなど数え上げれば切りがないが、時間がないので何一字、物することができない。
「義経の冒険」は講談社選書メチエから出ている金沢英之氏の本で、大量の文献を参照引用し紹介するといった念の入れようなので大変学術的で読みにくい。でも蝦夷、鬼や古事記から御伽草子まで出てくるので、私にとってはすこぶるおもしろい。金沢氏は日本上代文学が専門だが、お母上、お祖父上とも仏文学者と漏れ聞く。本人に了解を得ないで紹介するが、母様は大江健三郎氏と大学の同期、さらに祖父さんは、かのプルースト「失われた時を求めて」を本邦初めて個人全訳された井上究一郎氏。私は、筑摩世界文學大系の初版本(全三巻)の第一巻(S48刊)だけ大切に持っている。金沢氏の写真を見ると猫がお好きなよう。「黒猫との」をお送りしようか迷っている。